小売の役務商標

小売に関する役務商標の登録制度が2007年4月から導入されました。役務商標の導入も商標制度の変容としては大きなものがありましたが、それ以上に小売役務の商標の導入は、商標の根本にかかわる問題であったと思います。

一段落した今、少し振り返って考えてみたいと思います。

2006-2007の段階では、私は、商標は商品に結びついたものであって、商品が存在しない役務商標は例外的なもの、したがって限定的に考えるべきものと考えていたと思います。そこで、小売の役務についても、商品商標で賄えるものはなるべく商品商標で賄い、賄いきれないものだけを「小売」で考えれば良い、と考えていました。

同時にその正反対の考え方、「小売という役務は、どのような役務であるのか、その実態を見極めて、法体系の中に取り込むべきではないか。」という考え方も持っていたようです。

今回、自分で見直してみて、「ニース協定」の類別表の説明を国内法より上位に考えるとすれば(条約の方が国内法より上位にあります。しかし説明書まで上位にあると言えるかは疑問。)国内法の解釈の1つとしてある青本の考え方、「有償性」「独立性」は、一つ引きさがって考えるべきものと考え始めています。

つまり、ニースの類別表では、「他人の便宜のために各種商品を揃え、顧客がこれらの商品を見、かつ、購入するために便宜を図ること。当該サービスは、小売店、卸売店、カタログの郵便による注文、またはウエブサイトまたはテレビのショッピング番組などの電子メディアによって提供される場合がある。」と規定されていますが、それをそのままを受け入ようと、私は思い始めています。そうなると、いわゆるお店を構えていれば、ともかく小売の役務だということになります。

「他人の便宜」はやはり、「顧客の便宜」であると読むべきだと思います。「各種商品」もそのまま読めば、自己の製造したものであれ、第三者の製造したものであれ、商品と考えるべきものと思います。一箇所に多数の商品が集められていれば、基本的にお店です。例外的な形態のカタログ販売や、ウエブサイトもお店として認めるということです。

これが、2つ目の考え方として紹介した「小売という役務はどのような役務なのか?」を考えることです。

多数の商品を集めて販売するという点を考えれば、「個々の商品の販売」は、個別商品の販売で商標法第2条第1項3号の譲渡になり、「多数集めて便益を提供」する、という部分が小売の役務の本体ということになると言うこともできます。そして、それが取り揃え賃として有償性を有するか、と考えることはしない、ということです。独立の取引対象という部分も、除外すると考えるべきです。

したがって、多数の商品を集めるということを、どの商標を使ってしているか、と考えると、お店の看板、担当部署の看板位までが役務商標と言うことになります。それより小さな 個別の商品の商標は、小売の役務を表示する商標ではない、と言うことになります。

そうであれば、商品商標と小売商標は峻別できます。商品商標と小売商標との間に類似関係は元々考えなくても良かったということになります。単にクロス・サーチの要否の問題ではなくて、本質的に不要だということが判ります。

紀伊国屋(出版)の本を三省堂(書店)で売っても、誰も、販売しているお店が紀伊国屋だと誤認しないということです。同じく紀伊国屋の本を三省堂が発行しているとも思わないということです。逆に紀伊国屋(書店)で三省堂の辞書を売っていても同じです。

もう少し別な方向からも考えましょう。

商標が、商品の製造票に起源を持つ、ということから考えると、商標は本来、商品に直接付けられた(商品と分離不可能な)ものではなかったのか、と思います。凹凸で表現するものや、名前を商品に書く等々です。商標を付する行為というのが、明確にあったと思います。お茶碗の底の記号、文字。お菓子の焼き鏝等々。その次の段階が洋服等にタグを縫いつける等があったと思います。(無理すれば、商品から商標を切り離すことができる状態です。)さらに、その次のステップでは、下げ札が出てきて、販売時以外は、商品から商標を切り離すということが生じてきたのだと思います。

商品の広告、取引書類についての使用は、広告媒体との関係で、商品に付けられていませんが、商標の使用と認められることになります。

これに対して、役務では、サービスの行為自体は(物ではないので)商標を付けることができません。物理的に不可能です。そうなると、商標は、役務提供(行為を行う時)のその場所の近く置くしか方法がない、ということになります。

行為が提供される場所(建物)の外に掲げられた看板が基本であったと思います。レストランと書いてある看板のある建物の中で役務が提供されました。それから、独立の建物でない場合には、役務が提供される場所(部屋)の入口および内部に商標が表示されるようになったのではないでしょうか。

つまり、商標は商品と分離できないものから、だんだんに分離できるものに進み、ついには、結合すること自体が不可能な役務についても商標を考えることができるようになったのだと思います。

業務上の信用の保護という意味では、商品についても、役務についても共通するということができます。

役務が商標の対象となりましたが、当初は商品になり得ないものだけが役務として保護されるものでした。

それが、小売の業務を商標の対象にすることによって、今迄、商品商標としてカバーしていた領域と、重なるとも言える役務が生じてしまった、ということです。

小売という役務は、商品という物を売買するのですから、対象物として商品を介することが出来ました。だから、商品商標の考え方を押通すことができる部分があると考えていました。しかし本来は、小売の役務は、商品を中心に考えて来た今までの考え方を変更するものだったと思います。

小売役務の導入に際して、独自の行為(役務)を考えられるかをもっと考えるべきでした。

しかし、その根本からの変更とは考えないで、小手先で、制度を入れてしまったことで、商品を中心に固めてきた商標という考え方に対して、不十分な考えを取り込んでしまったと思います。

商品商標でカバーできるところは、出来るだけ商品でカバーし、カバーしきれない部分についてだけ、役務商標を認めるということで良い、というやり方でした。

しかし、これを押しすぎると、自分の商品を販売することは商品商標で、他人の商品を小売する時は役務の商標という判りにくい議論をするようになります。同じ店で売っている商品を、誰が造ったものかで区別し、役務(小売)であったり商品商標であったり、というのでは論理の一貫性がありません。

有償性は、青本の考え方に過ぎません。ニースの注釈を優先させるべきだと思います。ニースの注釈に「有償性」が書かれていない以上、有償性を判断の要素にはできません。むしろ、その有償性は、小売という業務が営業的に行われているかの問題なのだと思います。

文責:広瀬